そうした取り札を、厳しい環境のもとで、一枚一枚、墨と筆で表現していった人がかつて北海道の地にはいたのです。
 しかし、時代とともに書き手は徐々にいなくなっていき、「板かるた」を楽しむ人の数も減っていきました。昭和の初期には、「板かるた」そのものが姿を消してしまったのです。
 こうした時代の流れの中で、「この伝統の美を後世に伝えなければ」という心意気で、「板かるた」を書き続けた書家がいました。
 書家・中村北潮さんがその人です。
 北潮さんは、北海道函館市出身で、明治42年(1909年)2月1日、回船問屋に生まれました。3歳でお寺に預けられ、厳しい修行の中で写経をしたのが手習いのはじまりとなり、書の道に進んでいきました。13歳のときにはすでに「北潮」と号して、書道塾「北潮舎」を開き、大勢の門下生を育てるようになりました。
 その北潮さんが「板かるた」に出会い、その魅力に強くひかれ、自ら一枚一枚の「板かるた」を書くようになったのです。
 躍動感あふれる美しいフォルム、流れるようなスピード感あふれるフォルム、ダイナミックで大胆な力強いフォルム、繊細で細やかなフォルム…
 北潮さんの手になる一枚一枚の「板かるた」は、洗練され、見て楽しく、非常に面白いものです。その美しさは、もはや「芸術」の領域にまで高まっており、多くの人々に深い感動を与えています。
 そこには「変体仮名」の持つ特徴がいかんなく発揮されており、普段「変体仮名」を読まない人、読むことのできない人にとっても、その美しいフォルムは魅力的です。
 北潮さんは、平成6年(1994年)11月1日に惜しくも85歳で亡くなりました。
 しかし、若い頃から70年間以上にわたって書きつづけた手書きの「板かるた」をはじめ、板書、色紙、硯屏風などの作品は、70万点以上にのぼります。
 
  ●学習研究社発行の『絵で読む古典シリーズ・百人一首』のカラーページに、尾形光琳筆「光琳かるた」、住吉具慶筆「百人一首画帖」、狩野探幽他筆「百人一首画帖」、勝川春章筆「錦百人一首あづま織」等々と共に、中村北潮筆「潮流板かるた」が紹介されています。