厳しい自然環境のもと、屯田兵たちは「軍隊」としての規律を守りながら、開拓作業と訓練に明け暮れていました。
 そうした彼らにとって、村をあげて楽しむ神社のお祭りや夏の盆踊りなどは大きな娯楽であったことでしょう。ときには東京から相撲の巡業が訪れることもあったようです。
 それらの数少ない娯楽のひとつに「板かるた」がありました。
 「板かるた」というのは、その名の通り「板」に書かれた「かるた」=百人一首です。
 一般の百人一首のかるたは、読み札も取り札も紙に書かれています。
 屯田兵たちも、昔からの日本の伝統的な遊びである百人一首を、厳しい労働と訓練の合間の娯楽としたのですが、そのとき、取り札を「紙」ではなく「板」に書いたのです。
 当時の北海道では「紙」は非常に貴重な品で、そう簡単に手に入れることはできませんでした。貴重な紙に代わって、屯田兵たちの周囲には朴(ほお)の木や白樺の木などが群生していました。屯田兵たちは、これらの木を切り、削り、かるたの取り札にしたのです。この「板かるた」を最初に作ったのは、もと会津藩士たちだったといわれています。
 特に朴の木はその丈夫さと風合いで「板かるた」の素材にぴったりであるとして主流を占めるようになります。